純白の勾玉と漆黒の花嫁

第6章 前を向いて その4

「―――その者を放して持ち場へ戻れ」
「! しかし……」
「羅威様より許可が出た。納得いかぬのならここから去るが良い」
 男は声を低くして、冷酷に言い放った。羅威、という名に反応したのか、捕らわれていた縄は解かされ、控えていた兵士たちは一目散に逃げていく。
「度重なる無礼、申し訳ありません。貴方のお名前は?」
「―――東(あずま)だ」
 文を従者に手渡されてから、東は人目を気にせずにかけてきた。人間であればまだここにいれるはずもない。夜中、兵たちが休んでいるときに押しかければ、 だれとて捕まえたくもなるだろう。萃香の文をこの男が持って行った後、少々油断している隙に捕らわれてしまっていたが、そのこともこの男は承知していたのか。
「東殿、お疲れのところ申し訳ないが、ここには文を書けるような道具はないのです。なので、口頭になるが、紅の白部に言伝を頼みたい。“その誘いにのってやる”、と」
「きちんと読んでいただけたようだな。中身を知らぬのが残念なところ。すぐ、伝えましょう」
 男が少し休んでいけばいい、と言ったが、東はそれを断った。人間たちからすれば、自分は異端者でしかない。これからある戦に向けて、神経も鋭くなっているようだ。不要な疲れを溜めさせたくはない。
「この戦が―――とっとと終わってしまえばいいと、思っておりましたよ。主も、今回ばかりは嫌気がさしたようです。蒼の国が戦を起こすのは、これが最後になるでしょう」
 それは弱音のようだった。否、おそらくは弱音なのだろう。この男は、ずっと羅威に仕えながらも、主の心の揺れを感じ取っていたのかもしれない。けれど主を裏切ることはしなかったのだ。たとえ主が間違いを犯していても。
「そのようなこと、申してよいのか。まだ勝敗は分かぬよ」
「いえ。もう、主は腹を決めたようですので。あとは紅の領主の寛容な対応を望む限りです。……機会があるならば、それもお伝え願いたい。主の望みです」
「紅の白部なら、機会はあるだろう。お伝えするよ。では」
 東は体が訴える疲れを無視しながら、闇の中へ駆けていった。行きと同じくらいの速さは望めないだろうが、1日もあれば戻れるだろう。これで丸2日かかったことになるが、それくらいは許してもらいたい。
「これでやっと、この争いも終わるんだな。お前の死も報われる」
 たまたま居合わせた蒼の国と他国との戦で妻が命を落としたのは、いったい何年前の出来事だっただろう。国を転々として暮らしていた当時、まさか近くで戦が繰り広げられているとは知らず、林を抜けたときにその命は絶たれた。
(もう戦は懲り懲りだ。もっと、白部が増えればよいのに)
 白部のいる国は、原則として無駄な戦をしないことになっている。なので紅の国も、自分たちから戦を仕掛けることはないし、戦で勝ったとしても、相手の国の民の扱いには十分気をつけている。他国ではまだ、敗戦国の民はぞんざいな扱いを受けることがあると言う。
(紅の国のように、他の国もなっていけばよいのだが……)
 蒼の国のほかには、もう争いからは身を引いている小国しかない。小国は既に村のようなもので、実質的統治は他国に任せていることが多い。
 今回の戦が、世界を変えるきっかけになればいい。それはおそらく、東だけの願いではないはずだ。

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