純白の勾玉と漆黒の花嫁

第6章 前を向いて その3

 羅威は空を見上げていた。蒼の城を飛び出して数日が経った。いつまで経っても心の靄が晴れない。やはり潮時だった のかもしれない。こんなことなら、今回の仕事すら引き受けなければ良かった。少しばかり金を返すことになろうが、早く縁を切ってしまったほうが、楽に慣れ たのだろう。
「羅威様、……文が届いております。おそらくは紅の白部の仕業かと。貴方様に渡すように、とのことでしたので、お持ちしましたが」
 そういって駆け寄ってきたのは、羅威に仕える男だった。羅威は本来、吸血鬼の中で、高い地位にいるわけではない。従者を持てる身分でないのにもかかわらず、従者がついているのは、彼がかつて苦楽を共にした仲間が遺した従者だからだ。
 もっと見込みの主の元へ行けばいい。そう何度言っても、彼は聞かなかった。
「羅威様。もう、やめましょう。あのような人間に仕えて何がよいのですか。もっと良い人間は、この世にいくらでもいるでしょう―――紅の領主のように」
 真の主でないからか、この男は昔から羅威に遠慮がなかった。かといって、無茶な要求もしないし、反論もしない。ただ思ったことを口にするだけで、反抗することはなかった。
「分かってる。だがな、もう後戻りなんて出来ないんだよ。これを最後にする、それでいいだろ」
「こちらをお読み下さい。それから決めても遅くはございません」
 男が差し出してきた文は、おそらく紅の白部が書いたであろう綺麗な字で書かれていた。羅威は文を取り出すと、無言で読み始める。


蒼の国 羅威殿

 こうして貴方に文をしたためたのは、随分昔のことのように感じます。今ではお互いに立場があり、あなたは窮地に経たされているのではありませんか。止めるに止められない、そんな状況に陥っているようで、胸が痛むばかりです。
 堅苦しい言い方は止めにします、羅威、この戦いは人間同士のものであったはず。なぜ貴方はそれに加担したのです。蒼の国も紅の国も、治めるのは人間。人間が治める国のことに、我々は手出しすべきではありません。
 蒼の国の現状を考えれば、このまま手を引くことは出来ないのでしょう。貴方のことだから、いくら領主が好ましくなくても、民を見捨てることは出来ないのでしょうね。
 もしそうであれば、ひとつ、お互いに約束をしましょう。こちらも、人間以外の者は戦に参加させません。ですから、そちらも人間以外の者は戦に出さない。人間同士の争いに戻しませんか。

紅の白部  萃香


 昔から変わらない、そう思った。彼女は見た目は派手だが、周囲への気遣いを忘れることはなかった。多少我侭な面はあるが、いつも誰かのために尽くす女だった。
(きっと、嘘偽りではないのだろうな)
 心から、自分の行動を嘆いているのだろう。本人はこれは仕事だと思っているのかもしれない。だが、本心が見え隠れしていた。
(相変わらず、律儀な女だ。男鹿など切り捨てればよいものを。……だが、一理ある)
 彼女をうまく利用すれば、紅の領主に、民の安全を頼めるかもしれない。風の噂で聞いた話では、紅の国は勝ち取った領地の民を捕虜にしたり、奴隷のように扱うことは無いという。
「―――これを運んできたのは誰だ。その者はまだいるか」
「捕らえておりますが、まだ無事のはずです。いかがいたしますか」
「口頭で構わない、言伝を頼む。“その誘いにのってやる”とな」
 明らかに戦力の劣る蒼の国が、真っ当に紅の国と戦ったところで、勝ち目などない。だが、戦に勝つたびに嬉しそうに頭を下げてきてくれた、蒼の民たちの顔を思い出して、重要なのは勝敗ではないのかもしれないと感じた。

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