「その話が聞きたいのでしょう? 男鹿」
「ああ、羅威がいつ攻めて来るか、分かるか?」
萃香は迷うことなく男鹿の名を呼び捨てした。男鹿も、戸惑うことなく答えている。鈴は彼女の存在の重要さを悟った。
(初めてだわ、男鹿様を呼び捨てする方なんて……。)
そのうえ、男鹿の口調はいつもの優しさの欠片もない、戦から帰ってきたときのそれと同じだった。
「―――隠しても無駄だろうから、はっきり伝えるわ。決行は三ヶ月後、敵の正確な人数までは分からないけれど、攻め方はわかる。夜襲よ」
――――夜襲。
鈴は書物でしか聞いたことがない。紅の国は実際には争いがあまりない国で、夜襲されることもすることもなかった。そもそも人は夜行性ではなく、夜襲には向かないのだ。
「……夜に奇襲とは、卑怯な。だが、こちらが対策を立てれば大丈夫だろう。夜襲は紀州でなければ成功しにくい。―――鈴姫?」
鈴には、夜という時間が、あまりいい思い出でない。
鈴の母である紗々が亡くなったのも、城を追い出された鈴が別荘にたどり着いたのも、辺りが闇に包まれた静かな夜だった。
胸の前で優しく握っていた手が、微かに震えていることに気がついたのは、男鹿がその手を包むように握り締めてくれたあとだった。
「大丈夫かい。君の前でする話ではなかったね」
「いいえ……。夜は慣れないだけです」
男鹿が優しく背中を撫でている。ここは屋敷の中なのだ。側には麗花も控えている。萃香の従者である永禮もいるはずだ。何も恐れるものなどないはずなのに、鈴はなかなか震えが止まらない。
「仲のよろしいことは構わないですけれど、忘れてないでしょうね、男鹿。私は―――」
萃香の様子が一変し、強い口調で男鹿に問いかけた。萃香が全て言い終わるより前に、男鹿が萃香を睨みつける。萃香が思わず後ずさると、男鹿はすかさず言葉を放った。
「止めろ、萃香。それ以上の無駄口は許さん。今宵は失礼する」
男鹿は怒ったように―――否、怒っているのだろう口調でそっけなく言い放つと、麗花に目配りし鈴を退室させ、自らも退室した。
「あの、男鹿様……。ご挨拶しなくてよかったのですか?」
「構わない。あれ以上滞在しても、良い情報は得られないよ」
月の光も少ない夜だ。その顔色を窺い知ることはできないが、なぜだか鈴は男鹿が苦しんでいるように思えてならなかった。
(いつか、この人の側を離れる日がくるのかもしれないわ。)
白部だといった萃香の態度を気にしつつも、悪い予感が当たらないように祈りながらも、鈴は前を見据えていた。