「――――これは」
男鹿たちが戦へ行ってから2ヶ月が経とうとしていた。鈴はすっかり継正の正妻や腹違いの弟とすっかり打ち解けているようだった。お互いに意地を張っていただけなのかもしれない。家族のことは詳しく聞いていないので、麗花には断言できないが、鈴の母に対する嫉妬をずっとぶつけていただけなのだろう。
麗花はあくまで従者として付き添っている。そのため、表立って城主の正妻や跡取り息子と会話することはできなかった。ただ鈴は違う。ともに暮らしていなくても、彼女はこの国の唯一の姫である。
とはいえ、自分の立場に不満を抱いていない麗花は、志津とその姿を見守っていた。すると、まだ遠くに、よく知る気配が近づいていることに気づく。
「……麗花さん? どうしたの、難しい顔をなさって」
鈴に話しかけられず、困り果てていると、志津が異変に気づき声をかけてくる。麗花はあくまで従者である。話の盛り上がっている主たちの話を遮っていいものか、分からなかった。
これまで麗花は誰かに仕えることがなかった。吸血鬼の中では、女性というのは総じて立場が上であることが多い。地位を持っていなくても、主のような振る舞いで許されるものだった。女性の数は少なく、多くの吸血鬼に血を分け与えるので、そのぶん大切に扱われるのである。
「男鹿様が、帰ってきている気配がして。姫様にお伝えしたいのだけど、声をかけていいものか……」
「あぁ、それなら任せて」
志津が腰を浮かせかけたので、麗花が思わず止めると、志津は笑って小声で答えた。
「大丈夫よ。奥方様は姫様には少し厳しかったけれど、本当はお優しい方なの」
そう言って立ち上がると、静かに近づき、少し離れた位置で立ち止まって座礼した。
嗣永の正妻―――奥方は、笑顔のまま受け答えをしている。その微笑みは疑いもなく本物で、つられて鈴も微笑んでいた。
「―――麗花と申しましたか? おいでなさいな」
奥方が微笑んだまま、麗花を呼んだ。麗花は高ぶる鼓動を抑え、志津にならって側に寄った。
「遠慮しなくて良いのですよ。あなたも同席しているのですから、用があれば申して良いのです。……わたくしはそのつもりで、志津とあなたをここに呼んだのですから」
「私は、ただの……」
「身分など関係ありません。あなたは悪いことをしているわけではないのでしょう? あなたは自分の仕事をしている、ただそれだけです。それなら、私にはあなたを叱る理由なんてないわ。そうよね、鈴?」
「ええ、奥方様」
鈴は笑顔で答え、そして未だ驚きを隠せない麗花にこういった。
「戸惑っているのよね、慣れない仕事をしているから。でも、遠慮はいらないわ。私たちは客人なのだから」
鈴のその言葉に大きく頷いて、継正の正妻は麗花に微笑んだ。