純白の勾玉と漆黒の花嫁

第1章 絶望の果てに その8

「…姫、入るよ」
「男鹿様?」
 数日すれば城での暮らしにもなれていた。
 男鹿は鈴の部屋に訪れることの方が多く、男鹿が鈴を呼び出すことはなくなり、優礼や月秦に会うことも少なくなっていた。
「もうお食事の時間でしたか」
 鈴が準備をしようと立ち上がると、男鹿がそれを制した。よく見ると背後に誰かが居るようだった。
「いや…まだ大丈夫だよ。君に紹介しておきたい人物がいてね」
「紹介しておきたい、人物…ですか?」
 鈴は興味深く男鹿の背後を覗く。そこには黒い衣服を纏い、笠を深く被った、男か女か判断できない人物がいる。すると笠をとり、その姿が露わになった。美しい顔は女性のもので、つり目気味の瞳が印象的だった。
「どなたでしょう?」
「彼女はこの城で唯一の女のヴァンパイアさ」
 男鹿によれば、元々ヴァンパイアは女の出生率が低く女が多くないので、城にいるのも彼女だけらしい。
 彼女は城で働く男鹿の従者たちに血を分け与えているそうだ。 かといって男鹿には今は優礼と月秦以外の従者はいないようで、二人も週に一度で十分な為、彼女の仕事はあまりないらしい。
「…あなたが鈴姫?」
 彼女は自ら名乗ることなく、聞く。鈴は訝しげに眉をひそめた。
 鈴の故郷、紅の国では初対面の女性への呼び名に名前を使わない。女性を名前で呼ぶのはごく親しい間柄のみであるのが普通だった。これは紅の国に限らず、どの国でもいえることのはずである。例え敬称を付けていても、本人の許可無く名前を用いることは良しとされないのだ。
 鈴がたとえ一国の姫でなくても――お嬢さん、娘――女の呼び方はいくらでもある。鈴はその立場から、姫君、紅の姫のどちらかで呼ばれることが多かった。
 確かに紅の国の民で、そう鈴を呼ぶ者がいるのは確かだ。しかし自国の民が親しみを込めて姫をそう呼ぶのと、他国の者がそう呼ぶのとでは、意味が違うだろう。少なくとも他国の初対面の相手に鈴姫と名前に近い呼び方で呼ばれたことはない。
「……そうです」
「…せいぜいご当主様のご機嫌をとって生き長らえることね」
 馬鹿にするように笑い――否、恐らくは馬鹿にしているのだろう、彼女はそのまま名乗らず部屋を後にする。
 鈴が思わず反論しようと腰を上げたとき――男鹿が彼女に振り向かずに冷たく言い放つ。
「失言を見逃すのもこれが最後だ、麗花」
「――ご当主様っ…」
 麗花と呼ばれた彼女が振り向き、何か伝えようと狼狽えていると、男鹿は振り向き突き返した。
「去れ。しばらく俺の前に姿を見せることは許さん」
 それはハッキリとした拒絶で、おそらく彼女にとってはとても大きな罰なのだろう。――彼女の顔は絶望そのものを表していたのだから。
 鈴には男鹿が怒っているのは分かった――だがなぜ男鹿がそこまで怒るのかが分からなかった。
男鹿はそのまま鈴に何も言わずに、背を向けて去っていった。

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