純白の勾玉と漆黒の花嫁

第1章 絶望の果てに その6

「…月秦が大人げないことをしてすまなかった」
 鈴の顔を見るなり、男鹿が頭を下げてくる。
 目の前で何が起こっているのか分からず、鈴は首を傾げた。謝り頭を下げべきなのは男鹿を貶した自分自身で、彼らではないはずだと思っていた。
「別に謝るほどのことではないでしょう? 私が化け物だなんて失礼なことを言ったのが悪かったんです」
 ですから頭をあげてください、と鈴が言うと、男鹿が渋々頭を上げて言った。
 けれど顔を上げた彼の表情は険しいままだった。眉を潜め、どこか不安げな表情。鈴を隣に座らせると、彼は膝上の鈴の手に自らの手を重ね、子供を言い聞かせるかのように言った。
「……優礼に聞いたはずだ、この屋敷は君が思っている以上に危険なんだ」
「………なぜ…」
 それは鈴が初めて見た男鹿の深刻そうな顔だった。
 鈴の手を解放すると、振り向き手ぬぐいを手にする。男鹿に似合う、紺色の手ぬぐいだった。
「ここにもいろいろと複雑な事情があるんだ。だから君は一人で勝手に行動しないこと。あと……」
「それは勾玉、ですか?」
 開かれた手ぬぐいに包まれてあったのは、勾玉だった。
 紅い紐に通された真っ白な色である。混じり気のない、純白の勾玉。
「……これを常に首にかけておくといい」
 男鹿が鈴の首に通す。ちょうど頭が通る長さで、そして邪魔にならないものだった。
「これに何の役割があるのですか」
 一見は綺麗な色のただの勾玉だが。何か特別な効力があるのだろうか。種も仕掛けも無いようにしか見えない。
「もし君が立入禁止の区域に迷い込んでも――数分間は命の保証がされる」
「数分間…」
 すぐに出れば問題がないということか。 それにしても半端な時間である。彼らにとっては何か意味がある時間なのかもしれないし、よく分かっていないだけなのかもしれない。
「…不逞な輩が忍び込んで君を殺そうとするかもしれない。ここは人手が少ないからね。そこそこの力を持つ奴が大量に入り込んできたら、まず防御しきれないだろう」
 鈴から顔を背け、男鹿は言った。やはりあまり従者はいないのだろう。先ほどの台詞から察するに、彼らの中でもいろいろと事情があるらしい。それはまだ追求すべきでないと判断した鈴は、そのまま話を続ける。
「わざわざ立入禁止区域に連れ込んでまで、ですか?」
「正確には、立入禁止区域に入らせることで、だよ」
 よく意味が分からなかった。人は彼らより弱い。しかも鈴は若い娘である。彼らからすれば、もっと効果的で素早い方法があるのではないだろうか。
「他に簡単な方法があるのでは―――」
 鈴が言い切る前に男鹿ははっきり言った。
「できないね。本能が止めるだろうから」
「本能が…?」
 男鹿は実に楽しそうに笑っている。もう少し遠慮した笑い方は出来ないものだろうか。けれどその様子に不快感は覚えず、鈴はそのまま会話を続けた。
「…君は食糧だよ?」
「大事な食糧は殺せない、と?」
 男鹿はこれには答えなかったが、否定はしなかった。 鈴を気遣っているのかもしれないし、ただ鈴の反応に面白がっているだけなのかもしれない。
「…さて、dinnerの時間かな」
(この言葉は何なのかしら…。)
 男鹿が時折口にするその言葉は、鈴の知らない言葉だった。何度尋ねても意味を教えてはもらえないので、自力で想像するしかない。その後に食事をするということは、食事という意味なのだろうか。
「…………あ……」
 頭が重くなる。身体が支えきれず、男鹿にもたれかかった。体が熱を帯びているのがはっきりと分かる。
 鈴はただ、意識を保つことが精いっぱいだった。
「………姫…」
「あ…男鹿様……、ごめんなさい………頭が重くて…」
 男鹿が目を見張っている。何か粗相をしただろうか。
 そのとき、男鹿が鈴の顔を上げ、髪をそっと整えた。じっと鈴を見つめている。
「…あの……?」
 気恥ずかしくなって声をかけると、男鹿は
「名前を呼んでくれるとは思わなかった」
 微妙な顔のまま驚いている。
 固まったまま微動だにしないので、不安になって思わず尋ねていた。
「嫌……ですか?」
「そんなことはない。ただ、今まで月秦以外に名前で呼んでくれる者はいなくてね。優礼は主、だから」
 男鹿は実に嬉しそうだった。気を悪くしたわけではないようだ。
 一安心して、少し離れようとすると、男鹿に止められる。もたれかかる形になり、肩口に頬を寄せた。不思議なことに先程までの気恥ずかしさは一切無い。
「……今までの、“食糧”は…」
「多くがその前に自ら命を断ったからね。僕が味わう前に」
 思わず眉を潜める。それに気づいた男鹿が、そっと鈴の頭を撫でた。
 男鹿の手は僅かに震えている。
「それでは、食事はどうなさって?」
「実際そんなに食事は必要にないんだよ。常人程度の行動で済んでいればね。だから今までは彼女たちの血を少し貰って保存しておけば十分だった。半年に一度で十分だから」
「……そうなんですね」
 それは意外だ。それなら生贄なんて必要ないのではないだろうか。
 そんな鈴の心を読んだのか、男鹿が苦笑しながら続けた。
「僕の場合はね。純血だからね。でも月秦や優礼は別さ。だから僕はあまり食事はしなかった」
 そこまで聞いてやっと謎が解けた。
 自分のためではなく、仲間の――従者のために生贄が必要だったのだ。

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