純白の勾玉と漆黒の花嫁

第1章 絶望の果てに その1

 「……わたくしが、生贄ですの?」
 領主―――継正は数年ぶりだろうか、別荘に住まわしている娘を訪ねていた。
「生贄など、いかがわしい言い方をするな。わしには娘がお前しかいない。これ以上民に負担させられないのだ」
 娘は父である継正から目を逸らし、悲しげに呟いた。もうどうしようもできないことだと悟り、そして父親が簡単に娘を差し出す姿に落胆したからだ。
「……父様にとって、私は消し去りたい汚点ですものね」
 泣きそうな、しかし涙を見せぬよう扇で隠す娘を見て、継正は憐れんだ。
 娘は生まれてすぐに母を亡くした。その母は国でも有数の実力のある占師ではあったが、元は平民の出であったので、母の実家も頼れずに、正妻に城を追い出された。それから既に15年が経っている。きっと城で過ごした記憶はないだろう。
「そういうわけでは――」
 継正の言い訳は聞かれることはなく、全てを言い終わる前に止められる。
 何を言っても無駄であろうことは、分かっている。それでも言い分を並べてしまうのは何故だろうか。
「隠さなくても分かっておりますわ、父様」
 辺りは静かである。娘に与えられた従者の数は、領主の娘としては決して多くない。側室の娘であろうと、他国ではもっといるだろう。数が少ないからか、それゆえ主への忠誠心が強いからか、辺りには人の気配すらない。
 娘の顔には、誰が見ても感じ取れるであろう強い感情が滲み出ている。絶望か、失望か。どちらもなのだろうか。
 無理もない。今まで継正は娘になにもしてやることはできなかった。正妻の機嫌ばかり気にしていた。母と言う拠り所を失って一番庇護が必要であった娘に、なにもすることはなかったのだ。その娘が自分をよく思っていないことも、自分を理解していないことも仕方のないことだと分かっていた。
(それでも、私にはこの子しかいない。)
 これを、世間では『子が親の役に立つ』と表現するのだろう。けれど継正はそうは思えなかった。それでも、この国のためには娘に頼むしかないのだ。
「占いが良く当たるだけの農民の娘から生まれた予想外の娘が邪魔であるのは。父様にとって母様は道具のようなものだったのでしょう」
「そうではない……」
 継正はそれしか言えなかった。それ以上の言葉は娘の救いにはならないと知っていた。娘と数年間顔も合わせず、ただ毎月一度、食糧などを従者に届けさせるだけだった。
(……分かってもらえなくても構わない。)
 文の一枚すら書いたことがない。荷物と共に従者に持たせることは容易かったのに、ずっとそんなことすらしなかった父親を、娘は父だとは思えないだろう。赤の他人としか思えない相手から、その身を国のために捧げろと言われて納得できるわけがない。
「そうですか? それならなぜ体調が悪いと申しておりました母様に、医師の一人も呼んでくれませんでしたの?」
 娘の口調が強まる。ただ謝ればよいと心の中では分かっていたのに、継正は思わず言い訳をしていた。
「それは知らなかったのだ、紗々が体調を崩していたなど――」
「わたくしは何度も申し上げました」
 紗々とは娘の母の名だった。娘は領主の言葉をさえぎり、悲しげで怒りに満ちた、しかし冷静な声で言った。
 紗々が体調を崩したのは、ちょうど正妻が子を産みそうな時期だったのだ。当時安定しておらず、体調を崩しがちだった正妻を蔑ろにするわけにもいかず、いつ生まれるか分からない状態で連絡を取り合うこともできずにいた。そして結局継正が別荘を訪れたのは彼女がなくなってひと月たってからだった。
「……分かってくれ、鈴」
 もうどうしようもできないのだと懇願する父に、娘はゆっくりと、しかしはっきり告げた。
「……仮にも自分の血を引く娘を城から追い出して別荘に閉じ込め、ほとんど顔を出さないような父様の気持ちなど分かりません」
 はっきりとした皮肉。それを隠すことなく、娘は継正をしっかり見据えている。
 しかし、と言葉を続ける。娘の手に握られている扇が勢いよく、大きな音と共に閉じられる。その姿はとても強く、逞しく、そして絶望に満ちていた。
「民のためならば、生贄にでもなりましょう――その為に誰かを救えるのなら」
 娘――鈴はその後静かに席を立ち、黙って奥へ下がっていく。
 静かなその空間には、衣擦れの音だけがしみじみと響いていた。まるで主を悼むかのように、その音は屋敷中を包んでいた。
 そのとき娘の頬に大粒の涙が伝っていたことを、父親は知らない。

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