純白の勾玉と漆黒の花嫁

序章 たった一人の娘さえ

 これはある世界で、昔、まだ国が統一されておらず、いくつもの国が存在していた頃の話である。
 紅の国―――そこは他国から見れば、隣国の蒼の国との細やかな争いごとはあったものの、普段は優しい領主が治める、自然に恵まれた豊かで平和な国だった。
 ただそれは、その領主が飾りのようなものであることを知らぬ他国から見ればの話に過ぎない。
 実際は領主のみが治めているわけではなく、ある人物によって裏から支配されていた。とはいえ、彼らはある願望を口にするだけで、政に口を出すことはほと んどなかった。
「ご領主、何も怯えることはありません。我々は政に意見する気もなければ、国を寄越せなどと言う気もありませんよ。ただ新しく娘を頂きたいだけで」
 顔の整った男が愛想よく言った。この男がこの願望を口にするのは、決して初めてではなかった。年老いた領主は明らかに動揺した様子で、目線を逸らさず男 に問い返す。
「男鹿様、数ヶ月前に差し出したあの娘は……」
「あぁ――すぐに死んでしまいまいてね」
 男――男鹿はにこやかに告げた。
 その表情、態度に領主は恐怖すら感じられず、それでもこれ以上は条件をのむわけにいかずにひたすら言い訳を考えていた。
「そうは申されましても……。これ以上は民から差し出させるわけにはいきませんよ」
 すでにこの領主の代から数えても、10人以上の娘を捧げてきた。国民も違和感を考え始めているのだ。これ以上国民を犠牲にするわけにはいかない。
「ご領主には亡き側室が生んだ娘がいますよね」
 領主には正妻に跡継ぎである息子と、今は亡き側室に娘がいた。
 側室の元の身分があまり高くなかったので、正妻に忌み嫌われて城を追い出され、未だに嫁にすら出してもらえずに、かつてその側室が静養するために与えら れた別荘で幽閉状態である。
 しかし領主にとってはたった一人の娘に違いなかった。
「あれ、ですか。しかしあれとて、我が娘に変わりはございません」
 そう声を落として言う領主を見て男鹿は微笑し、一言言い捨てた。
「民に負担させておきながら、自分の娘は手放さないと? ご領主も考えが甘いですね」
 愛想の良い顔が一瞬で冷たくなり――その瞬間、領主は娘を差し出すことを決めた。
 ずっと苦しい思いをさせている娘を、せめて幸せにさせてやりたかったが、それが果たせないことを領主は悔やんだ。 (また、あの子に押し付けるのか。父親らしいことを何一つしてやれないまま。)
 もっと早く、どこかの国へ嫁に出してやればよかった――――すべてが終わってしまった今からではすでに遅いのに、その思いはなかなか消えることは無かった。

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