純白の勾玉と漆黒の花嫁

第1章 絶望の果てに その2

「………よろしいのですか、姫様」
 話しかけてきたのは、数人しかいない鈴付きの侍女の中でも、乳姉妹にあたる志津である。
 母が亡くなってから、鈴は乳母に本当の娘のように育てられた。その為、本当の姉妹のように育った乳姉妹であるだけあって、志津は、他の侍女たちよりも気さくに鈴に話しかけることが多い。
 しかし鈴は濡れた顔をそらしたまま、それを気付かれないように、静かに返した。
「…断ったって仕方がないでしょう。このまま無意味な日々を過ごすのも、喰われる覚悟で生贄となることも、大して変わらないわ」
「姫様」
 窘めるように志津が呼びかけるが、鈴にはその気遣いすら不要なものだった。
 もう心は決まっていた。 鈴の罵倒を、父親は拒むことなく聞き入れていた。
 鈴は継正が良い父親だとは思っていないが、少なくとも悪い人間ではないと信じている。 母の死後、正妻が鈴から姫と言う立場を取り上げようとしたことがあった。その時、そんな正妻を慰めたのは継正だった。あの時、あのまま正妻によって立場を奪われ、姫でなくなっていたら、今頃、鈴はどうなっていたか分からない。
(母が亡くなっても何不自由なく暮らしてこれたのは、父のおかげだもの…。)
 母の実家は決して豊かな家ではなかった。貧しい家の娘が売りに出されることも珍しくない。もしかしたら鈴もそんなことになっていたかもしれない。父は少なくともあの時は、自分を庇ってくれたのだろう。その証拠に今回、文ひとつで命じることもできただろうに、わざわざ別荘まで赴き、鈴に頭を下げていった。そんな父親の願いを無下にはできなかった。民のことも心配だった。自分が行くことで少しでも民への負担が減るのなら、それほど嬉しいことはない。
 そんな自らの内心を気づかせないように、鈴は振り向かないまま志津に告げる。
「志津、わたくしの身の心配など無用です。お前は自分の身の心配をなさい」
 志津はその言葉に驚きながら、それでも鈴を説得しようと言葉を探している。
 志津は器量の良い娘だ。自分の侍女でさえなければ、良い家に嫁げただろう。実際に、鈴が心配だからとこれまで何度も良い縁談を断わっていることは、鈴でも知っていた。自分のために志津は自らの幸せを諦めてきたのだ。
(せめて、あなただけでも幸せになってほしい。)
「鈴姫様……紗々様が…今は亡き母君が何より願っておられましたのは、姫様がお幸せになられることに他なりません」
「わたくしは幸せよ」
 志津のそれ以上の言葉を遮るように鈴は言った。
「民の為にこの身を犠牲にできるなんて、これ以上の幸せはないでしょう」
 それは嘘でもあり、真実でもあった。けれど少なくとも、民のために役に立つのは嬉しいことだった。
 鈴の言葉に、志津は悲しげに顔を歪め、袖で顔を隠しながら下がっていった。
 鈴はそれからしばらくの間、一人静かに涙を流した。 同じように志津も、自らに与えられた場所で、静かに頬を濡らしていた。

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