純白の勾玉と漆黒の花嫁

第1章 絶望の果てに その3

 人里はおろか、獣一匹すら見られない野原に、その城は建っていた。何もない土地にどうやって運び込んだと疑問を感じるほどの立派な石垣や、城門の佇まいは紅の城と大差ないようだ。ただ違うのは、この城の門は人の出入りが少ないのか、閉まったままだという点だろう。
 声を掛けても聞こえるだろうか、城門の中心から声を出そうとしたとき、門の開く音―――木の軋む特有の音が聞こえた。鈴は黙ってその場から離れる。その先に待ち受けていたのは、身なりの悪くない、どちらかと言えば身なりのよい二人の男だった。車を降り、汚さぬよう着物を少し持ち上げて、鈴は男たちに少しずつ近づいていた。鈴が頭を下げる前に、一人の男が動く。
 目の前に立ちはだかる男と、鈴の後ろに回った男。その表情は硬さを隠していない。
「………初めまして、姫君?」
「……」
 鈴は黙って目の前の愛想のよさげに見える男を見上げた。男の表情は変わらず固いままだ。鈴は警戒を解かず、男の言葉を黙って聞いていた。
「そう警戒なさらなくても、我が主は貴女を死なせたりしませんよ」
 意味ありげな言葉に眉を潜めた。この男たちは従者であることは気づいていたが、主がなかなか出てこないのは何故なのだろう。それが世間では通常の出迎えなのだろうか。
「どういう、意味ですか」
「我が主は貴重な純血の御方――人を人でないものにすることなど容易です」
(人を人でないものにする――そのようなことが可能なの?)
 鈴は黙って扇を広げると、思慮を巡らせる。けれどいくら考えても答えは出ないだろうと、鈴は気がついた。ただ言えるのは―――。
「化け物…」
 思わず漏れた一言に反応した、男たちのうち、目の前の男ではない、もう一人の男により刃物が首に突きつけられる。  目の前の男は愛想のよい目を冷たくして睨んできていた。
 何故だろう。言うつもりはなかったのに、ふとその言葉が漏れたことを、鈴は後悔していた。それを言えば彼らが怒るであろうことも容易に想像がついていたのだ。
「月秦、下ろしなさい。優礼も離れていなさい」
 それを止めたのは彼らより身なりのよい男だった。ゆっくり鈴へ歩み寄る。
 突きつけられていた刀が下ろされ、後ろから気配が遠のく。目の前の男も下がっていく。
「…男鹿様、何故」
 月秦と呼ばれた、鈴に刃物を突きつけていた男が不思議そうに言った。
 その言葉に耳を貸さず、男は鈴に近づいてくる。鈴は警戒を解かない。明らかに強張る体を抱える。
「貴方は?」
「君が言う“化け物”だよ」
「…っ!」
 鈴が尋ね終わる前に笑顔で告げる。その笑みは恐ろしいほど綺麗だった。
「さて、いい匂いがする…そろそろdinnerの時間かな…」
 その言葉は意味が分からない単語もあったが、鈴は危険を察知して素早く反応し身を引いた。でも、男鹿は鈴を逃さなかった。
「離して! 触らっ………」
 首筋を撫でて、それからゆっくり噛みつく――逆らえない、抗うことのできないほど彼の力は強い。
 首筋に僅かな傷みを感じ―――鈴は今まで感じたことことのない感覚に戸惑った。快楽ともいえる感情に、己を疑う。拒まなければならないのに、なぜ受け入れるのか。
「っ……痛………っ」
「あぁ、痛かった?でも、君も悪いんだよ?」
 彼は悪気なく笑顔でそう言った。そのとき彼はたしかに冷酷だった。
「………?」
 そのときだった。彼が再び鈴の首筋を撫でたと思うと、痛みが引き、首筋をたどってみると、傷が消えているのがわかった。
 治してくれたのか――そう問おうとしたとき、彼は顔を背け、男に命じた。
「月秦、姫を部屋まで案内しなさい」
「男鹿様…!」
 男は鈴が気に入らないのだろう、まだ男鹿を咎めようとしている。
 けれど男鹿はそんな男を冷たく睨みつけ、再び命じた。
「命令だ」
「…かしこまりました」
 男鹿はその答えを聞いてから、姿を消した。
(この方が、本当に噂の方…? 優しい方なのに。)
娘たちを何人も殺している、そう継正は鈴に警告した。どれだけ恐ろしい男なのかと思っていたが、優しさがない男ではない。
(…何かあるのかしら。噂される原因が、他に。)

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