純白の勾玉と漆黒の花嫁

第1章 絶望の果てに その5

「…姫君? 主がお呼びです」
 無造作に部屋に入ってきた優礼が鈴の様子を伺いながら言った。
 鈴が城へ来てから、まだ数日しか経っていないが、鈴は未だに優礼と月秦以外の従者は見ていない。これだけ広い城であれば、庭師や侍女が幾人かいてもおかしくないはずだが、どうやらそのような人々はいないようだ。
 「……」
 余りに気軽に部屋へ入ってきたので、驚いた鈴が何も答えず身支度を済ませると、優礼は行かないと思ったか、再び問いかけようと口を開いた。
 「姫君――」
 この男は人の呼び方も知らないのだろうか。鈴は自分の立場などは気にしていないが、少なくとも女性の部屋に断わりもせず入る男はこの男以外にはいない。恋人同士でも家族でもない相手に入られるのは、やはり良い気がしなかった。
(どうなっているの? この人たちは従者ではないのかしら。)
 男鹿に対する態度は従順だったが、その態度は従者というよりは、鈴と志津のように、まるで本当の家族のように思っているようだった。
 「分かってるわ、すぐに出るから待っていて」
 苛立ちを露にして乱暴に告げると、優礼は何か呟いたが、何も言わずにため息をついた。
「…案内してくれた、もう一人の方は?」
 月秦の姿が見えないことを不審に思った鈴が、移動しながら優礼に問うと、優礼は苦々しく告げる。その顔は苦笑していた。
「あぁ、今頃は頃主に怒られてるでしょうね」
 半ば呆れながら、笑いながら優礼は言った。どこか楽しげな感じがしたのは、気のせいに違いない。
「怒られて?」
 しかし鈴は他人ごとに感じられなかった。いったい男鹿はなぜ月秦を咎めているのだろう。なにか粗相をしたのだろうか。あの優しげな笑みから怒る姿が想像できず、鈴が首を傾げていると、優礼は説明を付け加える。
「昨日。案内を怠ったでしょう」
 簡潔な言葉は、まるでその場に月秦が居て、彼を咎めるように少々刺々しかった。
 現場に出くわし、鈴を咎めたときよりもいっそう険しい顔で、彼は月秦の過ちを指摘する。
「あの程度で…」
 鈴が呆れていると、優礼は真剣な眼差しで告げた。
「………この屋敷は貴女が思っている以上に危険です。俺らでさえ立入を禁じられている所もある。そういう所に無断で立ち入ると命が危ないんです……だから」
 ここは男鹿の城のはずである。 鈴は来てまだ数日だが、男鹿は優礼と月秦以外は従者はあまりいないように感じられる。ごく少数の従者にさえ立ち入りを許さない必要があるのだろうか。
「……だから、怒られているというの? 私はただの食糧じゃないの? 私が死んだって代わりはいくらでも」
 鈴の率直な意見に対して、優礼が声を荒らげて言い放つ。 その態度は明らかに咎めるもので、鈴は思わず身を竦めて立ち止まった。
「一度失われた命は戻りません。……姫君、貴女が思っているほど主は恐ろしくないと思いますがね」
「……」
 優礼のその悲しげな表情はすぐに冷静なそれに隠された。 そのまま男鹿の部屋へ行くまでの間、二人の間に会話はなかった。

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