「―――結局、あの父は優しくなんてなかった…」
母のことは愛していても、娘のことなどどうでもよかったのかもしれない。少なくとも、娘を大切に思うのであれば、男鹿に参戦を命じたりはしないはずである。
けれど麗花は、首を振って鈴の手をやさしく握り、諭すように言った。
「…姫様が大切だからこそ、男鹿様をお呼びになられたのではないでしょうか」
麗花は鈴の暗い顔を見て、励ますようにそう言った。
まるで父の考えがすべて分かるかのように、麗花は自分のことのように言っている。男鹿もその意見には異論がないようで、鈴に優しい笑みを向けている。
「大切だからこそ…?」
大切であれば手放さなかったのではないのか―――鈴は思わずそう反論しようとして、けれど麗花の表情を見てそれを押しとどめた。
「大切だからこそ、姫様を取り戻そうとお考えなのでは、と思いまして。…戦争時は混乱が多いと聞きます。その混乱に乗じて、―――敵かあるいはそれに準ずる者たちが、男鹿様を…処分してくれれば娘を救える。そう、お考えになられたのかもしれません」
男鹿が側にいるにもかかわらず、麗花はその言葉を、―――口を濁しながらも言った。
しかし男鹿は、麗花を責めようとせず、それに乗じるようにして鈴に話しかけてくる。
「…全ては城につけばわかるだろう。心配することはない。僕らはそんな簡単に死ぬことはないんだ。だから、今回の要請は断らなかった。断ることだって容易かったけれどね」
男鹿も、そして麗花も、鈴に優しく微笑みかけている。
なぜあの父が信用できるのだろう。幼いころに母親を亡くし、父親の愛情は知らない鈴には2人の考えがよく理解できなかった。
けれど、もし父が自分のことを大切にしようとしてくれているのなら、それ以上の幸せはないだろう。 否、本当は知っている。生贄の話をしにわざわざ別荘 まで訪 れたことも、自分に頭を下げたことも、そう考えれば納得がいくのである。けれど鈴は真実を納得できずにいた。母が亡くなるときの言葉が、どうしても頭を離 れないでいるのだ。ずっと父の名をうわ言のように繰り返し、そのまま命を落とした母の姿を忘れられないでいる。
「姫様。姫様が思っているほど、人間という生き物は情がない生き物ではありませんわ。それはわたくしたちが一番よくわかっていることなのです」
麗花はその美しい顔に、どこか寂しげな笑みを浮かべていた。
そんな麗花を見ている男鹿の顔が、複雑そうに見えたのは気のせいではないのだろう。