純白の勾玉と漆黒の花嫁

第2章 新しい風 その5

 それから麗花は、鈴に仕えるようになった。
 それまで部屋に訪れることすらなかったのにもかかわらず、鈴を守るといったあの日から、まるで普通のことのように鈴の食事を運んだり、話し相手をしたりす るようになったのだ。
 鈴は内心驚きながら、とても嬉しかった。ほとんど従者がいない男鹿の城には、彼女以外女性がいなかったのだ。そのため、唯一の女性に嫌われていることには、どうしても不安があったからだ。
「姫様、そろそろ男鹿様が戦へ参加なさるようです。…ご準備を」
 いつもどおり食事を運んできた麗花は、何故か悲しそうに言った。そして鈴の返事を待たずに、こう告げる。
「私も共に参ります。……姫様の身は私がこの命をもってお守りしますわ」
 しっかりとした、けれどどこか悲しげな瞳で、彼女は確かにそう言った。
 自分を嫌っていた麗花が、何故自分を守るのか。
「何故、守るの?」
 思わず、呟いていた。
「姫様が男鹿様にとって大切な御方だからです。男鹿様をお幸せにすることは、姫様しかできないからですわ」
「貴女が、いるでしょうに」
 鈴はうつむくと、微かな声で吐き捨てるように言った。
 自分が男鹿にとってそれほど大切な存在だとはとても思えないのだ。
 確かに嫌ってはいないだろう。どちらかといえば好んでいるといえなくもない。しかし、丁重には扱われても、大切にはされていないように感じる。男鹿にとって自分は、その程度なのだろう。
 彼は食事の時しかあまり長居はせず、儀礼的に頻繁に顔を出すだけ。それは、麗花自身がよく知っているはずなのに。
「……姫様と初めてお会いした時、私がなんと言ったか、覚えていらっしゃいますか」
「え……?」
「私は姫様が城に招かれたと月秦から聞いたとき、また男鹿様を独りにするのだろうと思っておりました。けれど、あのとき既に、姫様には"強さ"があった。自分の意志を貫き、生き抜く強さです。……今まで招かれた娘たちは、弱かった。いえ、人とは弱い生き物です。このような環境で独り過ごせば、絶望で命を 捨ててしまうのも仕方ないのかもしれませんね」
 鈴を見つめていた目を逸らす。涙を抑えるように、口元を引き締めている。
 沈黙が続いた。すると大きく息を吸って、俯いていた顔を上げると、その顔は先程と違う、自信に満ちたような表情をしていた。
「けれど姫様は違いました。国のため、民のために生きる覚悟がおありだったのでしょう。そんな"強さ"をもつ姫様なら男鹿様を救えると思ったのです。……あのときの言葉は、男鹿様に姫様を大切にしていただきたかったからですわ」
 麗花は今までに見せたことがない、とても穏やかで嬉しそうに笑っている。そして鈴の目を、まっすぐに見つめていた。
「姫様なら大丈夫ですわ。どうか男鹿様を救ってください」
 そう言い残して、彼女は去って行く。
 鈴はしばらくの間、彼女の驚くべき変化に、首を傾げるばかりだった。

それから数日たち、城へ向かう日となった。
「――― 姫君、お時間です。…麗花、主からだ」
  優礼は結び文を麗花に向けて投げてよこすと、そのまま消えるように下がる。まるで忍のようだと思ったが、もしかしたらそんな役割をしているのかもしれない。知らぬうちに側にいたり、話を聞いているのはいつものことだ。
  麗花は結び文を丁寧に開いて、ゆったりした動作で読み始めた。しかし文面が短かったのか、読むのに時間はかからず、あっという間に読み終わると、麗花は文を結びなおして、仕舞った。
「……男鹿様は、なんて?」
  鈴の声が聞こえていないのか、麗花は俯いたまま動かない。いつかのように、口元を引き締めている。 悪い知らせなのかと、鈴が再び問いかけようとした時、麗花の手に水が滴り落ちる。
  涙、だった。
「……どうしたの?」
「あ……ごめんなさい。嬉しくて。……男鹿様に信用していただけるなんて、これまでなかったので」
  そう涙を拭きながら言った麗花は、鈴に結び文を差し出した。その文をゆっくりと開くと、そこには、たった二言だけ文字がつづられている。
≪ 鈴を頼む。君を信頼している。≫
  それは鈴も見たことのある、男鹿の字だった。
「――― 行きましょう、姫様。紅の国へ、男鹿様と共に」
  麗花は清々としたように微笑んで立ち上がり、鈴に手を差し出した。鈴はその手をとり、歩き出す。
  外へ出ると男鹿が待っていて、月秦と優礼は先に出発していた。麗花の手をとり、車に乗り込む。
  行く先は一つ。




 紅の国――――故郷へ。

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