Episode.2 結界主の謎(1)

 部屋にある唯一の窓が開けられ、光が部屋を包む。エルナは寝起きの不機嫌さを隠さず、窓に魔術を施すクルトを睨んでいた。

 大きな窓は部屋にひとつ。その窓しか、エルナは届かない。その窓にはしっかりとクルトが魔術で生き物が通らぬようにしていて、そこから通るのは太陽の光と風と、匂いだけだ。

「ご無事で何よりです、エルナ様。……迷子になったことは聞かなかったことに致しましょう。今回は警備の甘さが引き起こしたトラブルが原因ですからね」

「相変わらず、私の必要性を感じない儀式でした」

 遅く帰ってきたエルナを、クルトは黙って部屋へ連れて行った。その時は疲れているから、皆を部屋に帰せるようにしたいだけなのかと思っていたが、そうでもなかったらしい。

「エルナ様」

「だってそうでございましょう? 柱に注がれてきた力は一人だけのものではないのですから。それはつまり、誰のものでも注がれればいいということになりません?」

 クルトの慰めるような呼び声にも動じず、エルナは少し怒っていた。

 今更ではある。そもそも、今まで気がつかなかったのがおかしいのだ。変わっても良い結界主なのであれば、何年も続けさせる意味はないのだと。

「エルナ様、お願いですから目立つ行動は避けてくださいね。……私があなたを庇えるのも、限度があるのですよ」

「あら、叱らないのですか、クルト? 否定もしないとは、珍しいですね」

「否定はできませんね。けれど、肯定も致しません。そういうことになっているものなのです。不自由はないのでしょう。黙っているのが最善なのですよ」

 そういえばクルトに考え方を正されたことはないと、エルナは思った。彼はエルナを止めようとはしても、責めることはない。

「その後の人生の為には?」

「否定は致しません」

 結界主の人生は上の者が握っている。彼らからすれば、後ろ盾のないエルナたちなど、いつでも始末できるものだろう。

 そうであるから、逆らえない。逆らおうとする意思を、前面に出すことはできないのだ。

「クルト。なぜあなたは、私を庇うのですか? あなたにとって、何の利益にもならないはずです」

「そうでもありませんよ。表には出ないとはいえ、今では元結界主たちも増えてきました。それなりの権力を持つ者もいます。……よほどのことをしない限り、庇っても不利にはなりません。確かに、有利になることもほとんどありませんが」

「貴族の中に、いるのですか」

 考えてみれば、故郷に帰せぬのなら、どこかしらに引き取らせる必要がある。

 結界主は現在、任務が終わると、下級の貴族に嫁ぐことが多いのだという。故郷にも帰せぬ彼女たちを、受け入れる先がないからだ。下級になればなるほど、上の命令には逆らえぬというものだろう。

 エルナは何となく座っていた別途から離れ、クルトの側の椅子に腰掛けると、外の空気を吸いながら、編み物を手に取る。

 何気なく進んでいく作業を見ながら、クルトは椅子の横にある卓上の小箱から櫛を取り出すと、エルナの髪を梳かしはじめた。エルナは何もいわずに、作業を続けている。

「故郷に返せぬとなれば、そうなってしまうでしょう。それがどんどん広がり、今では上位貴族になった家もあります。結界主が出る会議には出れませんけれどね、騎士が出る会議ではお会いしていますよ」

 クルトが櫛を小箱に戻し、それを棚へと運んでいく。微かに風が流れてきて、エルナの髪を泳がせた。

「クルトも、会議に出るんですね」

「ご存じなかったんですか。結界主の状況報告のための会議があるのですよ。エルナ様が問題行動を起こされるたびに、指摘されますけどね。表立って罰が下されることはありませんでした。この地では、先代の結界主があのような形で交代となったので、慎重だということもあるのですが」

「あのような……?」

「前のこの地の結界主が、襲撃によって負傷したのですよ。傷は酷いものでした。一ヶ月以内に回復の見込みがない場合、結界主の仕事が続けられないということで、特例措置として交代が行われます。とても一ヶ月以内に治る傷ではなかったので、全結界主の交代が行われたのです」

 背中に走る寒気を感じる。

 良く思えば、周囲の者たちは一切反抗していないのに、何度も反抗しているエルナだけが何の処罰も受けていない。本来ならば、規則に従わない結界主にはペナルティーがあるのだ。

 この地がどれほど要の地であるのか、それは襲撃される回数で分かる。それを本を見て始めて実感したエルナは、それから警戒するということを覚えた。