16:迫り来る決断のとき

「―――フェリシテ、起きて! 起きてってば!」
 アベルに身体を揺すられ、フェリシテは目覚めた。
 まだ日は明るくなったばかりのはずだが、廊下が騒々しい。使用人たちがよく動いているようだ。まだいつもであればこれだけ騒々しくなるほどの動きはないはずである。
 アベルは嬉しそうな顔をして、何かを話したがっていたが、寝間着のままではいけないと、一度アベルを部屋の外に出して着替えてから、再び招き入れた。鍵がかかっていないため、部屋には誰でも入ることができるのだが、勝手に入らないという暗黙の了解が存在している。けれど子供のアベルは、誰の部屋に行くときも勝手に入ってしまうようで、その度に皆に叱られていた。普段フェリシテはアベルに注意しないのだが、着替えの姿を見られるのは何だか気恥ずかしかったので、不満そうにするアベルにお願いして外で待ってもらうことにしたのである。
「朝からどうしたの、アベル? 何か嬉しいことでもあった?」
 フェリシテはアベルの手を優しく握りながら、興奮して乱れたアベルの衣服を直していく。母親のようだと周囲に言われるが、どうしても放っておけないのである。
「うん、あのね、帰ってきたんだよ! シモンのお嫁さん! だから―――」
 シモンのお嫁さん。
 アベルがそう呼ぶのは、きっとシモンの婚約者のことだろう。いずれは彼の妻となる人物で、姿を晦ましていたという少女だ。
 どのような人なのだろうか、そう考えていると、胸が苦しくなっていく。心が締め付けられているのだ。
 何かの病気であるわけでも、持病があるわけでもないだろう。これはそのような痛みではないと、フェリシテは知っていた。けれどなぜ今、これだけ苦しくなるのだろうか。
(何だか嫌な予感がするのはなぜかしら。……シモンは友人なのに、なぜこんなに苦しいのかしら)
 苦しくなっていく胸の内は、確かに危険を警告している。それがどのような危険であるのか、フェリシテには分からない。それが物理的な危険であるというなら、アベルがこれだけ自由に動き回ることは出来ていないだろう。そうでないのであれば、何が危険なのだろうか。
 その苦しみが、継母がやってきた日の朝と同じ感覚であったのだと、そのときのフェリシテは思い出せなかった。大切な人の心を失うときの苦しみだと、フェリシテが気づいたのは、彼女と話した、その日の夜のことだ。
 そしてフェリシテは自分に選択のときが迫っていることを知らぬまま、その日を過ごすことになる。