“親猫”と分かれてから、栞那は穏やかな日々を過ごしていた。実際には、まだ彼らの干渉があったのかもしれないが、栞那の元に彼らがたどり着くことはなかった。
あの日から、マックスは少し栞那に対して過保護になったようにも思う。栞那が少しマックスから離れると、不安そうに鳴きながら栞那を探すのだ。栞那が声をかけると、嬉しそうに駆けつける。良く考えると、ただ単に寂しがり屋になったともいえるかもしれない。
いつものように、マックスと戯れていたとき、ふと扉をノックする音が聞こえた。栞那は軽く返事をすると、立ち上がって扉へと向かう。部屋の前に立っていたのは、静貴の父だった。
部屋の前で話すのも気が引けたが、「女の子の部屋に気軽に入るわけにはいかない」と、彼は部屋に入らなかったので、二人で広間まで歩きながら、他愛もない話をした。栞那は他人と話す機会があまりなかったので、とても新鮮な気分だった。
広間につくと、手前のソファに案内され、向かい合わせに座った。そういえば静貴といるときはいつも横だな、と栞那は思い返した。
「……お嬢さん、どうかな。生活には慣れたかね」
「ええ、皆様のお陰で、何とか。自分が無知だと思い知りましたけど」
静貴と色々な話をしていると、自分が知らないことが多いことに驚く。静貴が物知りなのかもしれないが、栞那が無知なだけだろうと思う。
「その年の子供達は、みんなそんなものだよ」
静貴の父からすると、栞那たちはまだまだ子供なのだろう。けれど栞那は、自らが知っておくべき知識はまだまだあると思っていた。静貴が知っていることが半分でも知っていたい。少しずつではあるが、静貴に教わりながら、栞那は様々な知識を増やしているところだった。
「いいえ、静貴さんから色々教わってばかりですから」
静貴は毎日夕方にやってきて、栞那と他愛もない話をする。政治だとか経済だとかいう、難しい話はしない。簡単な世間話だ。途中でマックスが飽きてしまうので、結局マックスの相手をすることになる。マックスは最近、静貴が遊んでくれる人だと気づいたらしく、静貴が近くにいても嫌な顔をしなくなった。きっと今までは、一人にされていて寂しかったのだろうと、栞那は思っている。
「ちょっと物知りすぎるんだ、あの子は。ああ、そういえば、“親猫”が来たんだって? 何かあったのか?」
「え? いいえ、何も……あの、どなたからそのお話を?」
あれほど静貴は「言わない」と言っていたのに、うっかり話したのだろうか。
「ん? 静貴に聞いたんだよ。何かあったら、すぐに相談してくれ」
静貴の父は深く考える様子もなく答えた。きっと静貴がすっかり約束を忘れたのだろう。
「はい。すみません、ご迷惑をおかけして」
丁寧に頭を下げると、彼は苦笑して、そんなことしなくていいのに、と言った。
「遠藤さんの話に頷いて、預かると言ったのは私だからね。お嬢さんの責任ではないよ」
「本当に、お世話になります」
再び軽く会釈すると、彼は腕時計を見て、次の予定があるから、と自室へと戻っていった。
ソファに座る栞那の足下でつまらなそうにしていたマックスが、嬉しそうに立ち上がった。
そして偶然通りかかった静貴と共に、マックスと庭を駆け回りながら、また翌朝全身が筋肉痛になるのだろうと考えていた。
2016-02-28