翌朝、朝食後に栞那の部屋を訪れた静貴は、いつものように微笑みながら言った。
「昨夜のことは秘密にしよう」
あまりにもいつもの通りで、当たり前のように告げられた言葉だった。栞那は一瞬、何の話か理解できず、考え込むが、すぐに“親猫”と会ったことだと気づく。
けれど秘密にする必要はあるのだろうかと首を傾げた。
「誰にも言わないってこと? 隠す必要なんてないでしょう」
確かに積極的に伝えることではないかもしれないが、聞かれれば答えても問題のないことだろう。
彼と決別したことは、決して悪いことではない。今後を見据えての判断で、栞那が独り立ちを目指すうえで必要でもあった。どのみち、いつまでも誰かに守られているわけにはいかないのだから。
それでも、静貴は眉を潜めたまま、首を横に振った。いつもの笑顔が消えた真剣な顔つきに、栞那は口を閉ざす。
「でも、打ち明ける必要も無い。栞那、この屋敷の人間が全員味方だとは思わないほうがいいよ。……君のご両親のこともある」
栞那の両親が、主に父親が、既に亡くなっていることは明らかだ。生きているとしても、栞那を探す気力や体力がないということになる。それに無事であるなら、祖父は栞那に会わせただろう。
祖父の態度から、母親がもう亡くなっていることは気づいていたが、父親については何も聞かされていなかった。しかし、栞那にとっては生みの親でしかなく、感謝はすれど、所在が気になるほどでもなかったのだ。
我ながら冷たいとは思う。けれど、栞那にとっては“親猫”たちが家族だった。今更その意識は変えられないし、彼らと決別したからと言って、その過去が消えることはない。彼らと過ごした日々は、栞那にとってはかけがえのないものだから。
「……冷たいようだけれど、覚えてもいない両親のことを気になんてしてないわ」
全く気にならないとはいえないけれど。言外にそれを告げる。しかし静貴は態度を変える様子がなかった。
「けれど君の両親が亡くなった原因は、未だ明かされていないんだよ」
明かされていなかったのかと、栞那は少し驚いた。それでも、それがおかしいとは思えない。祖父だって、まだ若い娘を失ったのだから、あまり騒がれたくなかったのかもしれない。それに、必ずしも周囲に報告する、という内容でもないだろう。
けれど静貴は納得していないようだった。
「そもそも遠藤氏は君の父親の名前を伏せたままだし、娘のことも口を閉ざしている。君が手放されたことと、何も関係がないとは思えないんだよ」
栞那は思わず笑みを零す。色々な条件が重なっていて、とても慎重にならざるを得ないのだ。確かに、そこまで秘密にされていれば、こちらだっていくつか秘密にしていてもいいだろうと、思っても仕方がない。
それに祖父とは毎日顔をあわせるわけでもない。全てを逐次報告する必要は無いかもしれない。
けれどせめて、この屋敷に世話になっている以上、静貴の家族には報告する必要があるだろう。
「それなら、おじいさまに隠す必要はあっても、この家の人々に隠す必要は無いでしょう?」
すると表情をこわばらせていた静貴が、いつもの笑みを浮かべ、少し肩を震わせた。なぜ笑われたのか分からない栞那が静貴を見つめると、彼は困った表情をしている。
「……“親猫”に育てられたというのに、君は純粋だね」
そして―――再び表情をこわばらせた彼は、冷たい声でこう語った。
「人というのは、自分の利益の為に人を切り捨てる、残酷なものだよ」
「だって、隠すなんて……まるで家族さえも信用していないようではないの」
そんな栞那の言葉を、否定することなく、彼は踵を返すと、栞那の部屋を後にする。
「まさか、そんなことないでしょ?」
栞那の言葉に、彼が返答をすることは、ついになかった。
2016-01-31