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 栞那は暗い部屋の中で、小さな机に向かっていた。手元の明かりだけを頼りに、手帖を読み進めている。

 手帖には、多くは書かれていなかった。彼女はあまり筆まめな方ではなかったのだろう。万が一見つかったときのことも考えて、内容は少しぼかしてあったが、暗号化などはされていない。その代わり、肝心な部分に関する記述は一切無いようだった。

 手帖は、小さなもので、1ページに1日分の日記しか書かれていない。そのうえほとんどの日は記述が無いので、話の流れは急になっていた。

『○月×日。仕事が始まった。聞いた話とは彼の印象が違う。仕事が遂行できるか、心配になってきた』

 潜入した日のことだろう。聞かされていた人物像と、ターゲットとの印象が違うことは珍しいことではない。裏で見せる顔と、表で見せる顔が違うことは良くあるのだ。

『○月△日。仕事にも慣れてきた。やはり最初に聞いていた話と、彼の印象は合致しない。仕事もこなしきれないことが多くなってきた。周りに迷惑をかけるわけにはいかないが、私には合わないのかもしれない』

 結論から考えれば、この時点で彼女は“男”に騙されていたと考えるべきだろう。内容から察するに、彼女にとって初めての侵入捜査――正しくはスパイ行動などと言うべきだろうか――だったのかもしれない。

 大きく息を吸い、吐いて、それを何度か繰り返した後、栞那は次のページを捲った。そこからは日付は無く、字も少し乱れていて、読みづらくなっていた。

『違う。私が見ていたのは、偽り』

『ほとんどの時間を誰かに監視されている様子。一体誰が裏切り者なのか』

『最初から、真実などなかったのか』

 1ページごとに区切られたその文は、中でもかなり殴り書きに近かった。

 途中には世間話のような内容も組んでいたり、書き方は当初より分かりづらくなっている。その3つの文だけが少し話題から逸れているのは、おそらく一瞬の隙をついて書いたからだろう。傍目から見たら読みづらいし、いくら監視されているとはいっても、表立っては見ていなかったようだ。だからこそこの手帖がここに残されている。

 最後まで読み進めて、栞那は手帖を閉じた。結局ほとんど内容は他愛も無いもので占められていた。それほど彼女は目を付けられてしまっていたのだ。

「これでは、何も分からないわ。一体あの人は、何を考えているの」

 栞那にはこれが、彼の母の字であると断言することはできない。生きてあったこともなければ、組織の人間の字というのはあまり記録にも残されにくいのだ。あらゆる証拠になりうるものであるから、ほとんどはそのまま処分されるし、重要な内容があれば書き写して処分される。

 けれど少なくとも彼女は、同業者だった。そして手帖に出てきた地名やお店の名前から察するに、この屋敷に務めていたと見て、間違えは無いだろう。

「真実は、闇の中……こればかりは、証拠も何も無いわ」

 彼女がなぜ亡くなることになったのか、その肝心のところまで、この手帖は書かれていない。きっとそれが起こるだいぶ前で書けなくなったのだろう。栞那は手帖を机の引き出しの奥へしまうと、ベッドへと再び潜り込んだ。

 マックスはいつの間にか、自分の寝床で眠りについていた。

2015-02-08

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