The End of Summer

出会い

 学生たちの誰もが夏休みの課題に明け暮れ、多忙を極める8月末は、真子にとっては暇な時間だった。
 後で切り詰めるのが苦手な真子は、いつも課題を受け取るとすぐに取りかかる。後回しにしないので、休暇中の宿題は一週間も経たずに終わってしまうのが常だった。
 そんな真子は夏休み終盤にはやることもなく暇になる。けれど友人たちは課題が残っていることが多いので、たいてい一人で野原へ出かけた。高校生になるの だから、一人でも出掛けても良いのだが、あまり街に出掛けたことのない真子は、一人で行くと迷子になる。過去に迷子になりかけて、人に迷惑をかけたことの ある真子は、それ以来一人で出掛けなくなった。
 真子が住んでいるのは田舎だった。とはいっても、車で30分も出掛ければ、すぐ近くに大きな街があるので、不便を感じたことはない。唯一不便なところを 言えば、周りは自然ばかりで、近所には小中学校しかなく、高校に行くためには毎朝早起きしてバスや電車を乗り継がなければならない。
 けれど真子は地元が好きだった。周りには自然以外何もないが、自然は見ていて飽きなかった。毎年変わりゆく自然を見るのが、真子の楽しみの一つだった。
 家から離れた、地元の人しか知らない場所にある野原で、真子はくつろいでいた。初めて来た人には分からない場所にあるので、独りになれるこの空間が真子は好きだった。
「すみません。地元の方ですか?」
 木の木陰で一人休んでいると、見慣れない男性が声をかけてきた。真子は一瞬で、相手が道に迷ったことが分かった。この場所は地元の人しか知らないが、どういう訳か、よく通りすがりの人などが迷い込むことがあるのだ。
「はい。もしかして、迷われましたか。」
「恥ずかしながら……。もし時間があるなら、近くの道まで案内していただけるとありがたいのですが。」
「見ての通り、暇を持て余しているところですから、バス停まで案内しますよ。」
 真子は苦笑しながら立ち上がると、軽く服についた草花を払った。ずっと眠っていても暇であることは変わらない。いい時間つぶしになるだろう。
「今日はどうされたんですか? こんな何もない田舎に観光ではないですよね。」
 真子が何気なく尋ねると、男性は持っていた荷物から、一眼レンズを取り出した。
「ここの素敵な風景を撮りに来たんです。風の噂で聞いて。」
「大した風景ではないでしょう。もっと綺麗な風景はいくらでもありますよ。」
 真子がそう言うと、男性は困った顔をして、頷いた。否定はしないのだ。
 そしてふと足を止め、空を見上げている。つられて真子もそれに倣った。
「でも、ここが身近だったんです。遠出できる身分じゃないので。」
「失礼ですけど、おいくつですか?」
「来年になれば高校3年生になります。そろそろ勉強しなきゃいけないんですけどね。」
 彼は恥ずかしそうにしていながら、自らの行動を後悔している様子は全くなかった。自分の意志でここに来て、この風景を楽しんでいるのだろう。
「たまには息抜きがしたくて、家を飛び出してきました。家から1時間もかからない場所に、こんな場所があるとは思わなかった。」
「1時間ってことは、街中ですよね。街中に住んでいると、自然に会う機会もないものでしょう?」
「ええ、だから迷ってしまいます。……あなたは何故、あの野原に?」
 その質問に、真子は何と答えるべきか、迷ってしまった。することもなくあそこでくつろいでいたが、真子とて来年は高校3年生になるのだ。本来はやるべきことが他にあるものを、見て見ぬふりをしていたとは言い難い。
「―――することがなくて。……とはいっても、私も本当はやらなきゃいけないことがあるんですけど。」
 諦めに似た気持ちで、正直に打ち明けたが、彼の態度は変わらなかった。
(お互い様だからかな。)
 特に意味はないのだろう。彼は何も気にしていないだけだ。
「ということは、同い年ですか。お名前伺っても? 僕は和幸といいます。」
「真子です。お互い大変ですね。」
 優しい、彼に合った名前だと思った。出会ってから数分なのだから、それは表の顔なのかもしれないのに、真子は彼を疑わなかった。
「そうですね。―――ああ、あそこですね。」
「はい。とはいっても、今の時間帯だと、次のバスは30分後くらいですけど。」
 何しろ田舎である。1時間に1本すらバスがないことも希ではない。朝と夕方〜夜間にかけては本数があるが、その他は需要が少ない為、かなり本数が限られているのだ。
「―――すみません、真子さん。付き合わせてしまって。」
 名前を呼ばれたことに戸惑いを覚えながら、けれどどこか嬉しくて、真子は舞い上がりそうな自分を抑えていた。
「そんなことないです。こちらこそ、和幸さんの勉強する気になれそうですから……多分。」
 多分という不安そうな響きに、和幸が思わず笑みを零した。そして何を思ったのか、少し考え込んだ挙句、ある提案をした。
「それでは、約束しませんか。―――再来年の今日、里帰りのついでに、またここで会うと。」
「約束……。そんな、実家から遠いんでしょう? それに、会える保証なんてないですよ。」
「いいんですよ、そんな細かいことは。お互いその時のことを考えていれば、頑張れる気がしませんか? だって僕たちは赤の他人のようなものでしょう。」
 赤の他人という言葉が重くのしかかった。けれどそれ以上に、また会えるかも知れないという不確かな希望の方が、真子にとっては大きかった。
「そうですね。そうしましょう。2年後の今日、また会う日まで…お別れしましょう。」
バスがやってきて、彼との別れが近づいていく。それまで重かった気分が晴れて、頑張れそうな気がした。