父親から突然の話

 これは私が、高校3年生になったばかりの春のこと。
 私の暮らす町は決して都会とはいえない、どちらかと言えば田舎といえる町だった。けれど通っていたのが商業高校だったからか、親が小さいながら会社を経営していたり、自営業の家庭の子は少なくなかった。
 でも良くある物語のように、親同士が決めた結婚相手がいる子なんていなかった。
 だからきっと、私も自由に恋愛して、自由に結婚できるのだと、信じていた。まさか父のために、会社のために、自由に恋愛すらできなくなるなんて思ってもいなかった。誰もが自由に恋愛して、結婚できるはずの世の中になっても、きっとそうでない人々はいるのだろう。たとえ一握りであっても、必ず存在するのだろう。これまでも、これからも、私がそうであったように。
「優子、早く食べて学校に行きなさい。いきなりの話でショックだろうけれど、そんなに悪い話じゃないでしょう? 第一、好きな人がいないって、お父さんの質問に答えたのはあなたじゃないの」
 母の一言で我に帰った私は、目の前に並べられた食事を口の中へ押し込むと、何も答えずに洗面所へ向かって歯を磨き、身だしなみを再び確認する。いつもと変わらないはずなのに、暗い表情のせいか、何だか違う感じがしていた。
 玄関先に置いておいた荷物を手に取ると、「いってきます」と言い残し家を出る。いつもの通り自転車に乗って、最寄の駅へと急ぎ走らせた。



「優子、おはよー。ん? どうかしたの? 浮かない顔して」
 駅で電車を待っていると、幼馴染の一人であり、同じ高校に通う佐和が顔を覗き込むようにこちらを見つめている。私より少し背の高い佐和は、毎朝こうして私の顔色をチェックしていた。彼女の癖のようなもので、いつもなら笑って突き放している行動だった。
「お父さんがね、縁談をまとめてきたんだ」
「へー、縁談ねぇ……って縁談!? あんた一体いくつよ? まだピッチピチの高校生じゃない! そんな心配されるようなことじゃ」
 他愛もない会話のように答えた私に、佐和はよくある漫画のセリフのように反応する。そんな姿がどこか可笑しくて、私は思わず笑みを零した。
「会社の関係だって。ほら、昔手術したとき、お金貸してもらった人がいたでしょ? お父さんの旧友で、東京でそれなりに大きい会社を運営してるんだけど、その人の息子さんがちょうど今年成人するらしいの」
「だからって、いまどきそんな。第一、育った環境がそんなに違うのに、恋愛もせずに上手くいくわけないじゃん」
 分かっていても、どうしようもないのだと。もうこれは決定事項なのだと。
 口にすることは出来なくて、私はただ俯いて黙って涙を流した。
 それからの学校のことは、何も覚えていない。毎日真面目に受けてきた授業すら、頭に入ってこなかった。どうせ大学に行かせてもらえるかも危いのだから、もう勉強などしなくてもいいかもしれないとさえ思った。結婚相手次第だろうが、就職は難しいだろう。就職が出来ないなら大学は行きたかったが、そんな我儘さえ言えないかもしれない。そんな風に気持ちはずっと縁談のことで頭がいっぱいで、その他のことは考えられなかった。
 好きな人はいない。そう答えたのは確かだったけれど、そんなのは一時的な話で、気になる人はいた。けれどこれからはそんなことも考えられないのだろう。
「お父さん、どういうこと!? なぜお父さんに、私の結婚相手まで決められなければならないの」
 帰ってきたばかりの父の元へ押しより、私は叫んだ。父は玄関先で怒らなくてもいいだろうと、少し苦笑していたけれど、笑えなかった。
 それまで父にも母にも反抗してこなかった私が、そんなに怒るとは思っていなかったのだろう。父は目を丸くして、物珍しいものを見る目で見つめてくる。
 私自身も驚いていた。何をそんなに怒っているのかと。確かに勝手に結婚相手が決められるのは嫌だった。けれどそれが原因ではない。それだけではなく、本当の理由は。
(自由に生きたかったのに)
 まだ高校生で、少しくらい自由気ままに生きていけるだろうと、心のどこかで私は信じていたのだ。だから現実を突きつけられて絶望した―――というのは大げさかもしれないが、心の一部に穴が開いたような心持ちになった。
 まるで少女漫画のような人生だ。これが漫画の世界なら、相手が好いてくれて、幸せになるのかもしれない。けれど現実は、そう甘くない。少女漫画の主人公のような、明るさや可愛さを持ち合わせている自信など、私にはなかった。
 現実はきっと、愛などない、形ばかりの夫婦になるのだろう。
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