Episode.2 結界主の謎(4)
太陽がすっかり頂上から陽の光を照らしている頃、微かに聞こえた馬車の音に、エルナは反応した。
二人のどちらかが来たのだろうか、と思っていると、クルトが「お二人が到着しました」と告げて下がっていった。
どちらかが迎えに行って共にここまで来たのだろう。エルナは耳をすませて、彼女達の足音を探った。
ずっと、ほとんどの時間を一人で過ごしているからか、クルトが来る前には足音で気づようになった。同じように、彼女達の足音も分かるかもしれないと思ったのだ。そもそも、エルナの部屋の周囲は誰もおらず静かだ。分からないことはないだろう。
軽快な足音が近づいてくるのが聞こえて、エルナは思わず身体を強張らせた。
足音の数から察するに、きっと二人きり出来たのだろう。どの結界主の屋敷も、作りは同じだと聞いたことがあるから、不思議でもない。
扉から入ってきたのは、まるで人形のように可愛らしい少女と、彼女の姉のような雰囲気を持つ、美しい女性だった。
「この度はお邪魔して申し訳ありません。……急に予定を組むのは止めなさいと、言ったのですが。どうも聞き分けの悪い子たちで」
可愛らしい少女は、入ってくるなり、流れるように言葉を並べていく。軽やかな、けれど少々長い挨拶に、エルナは戸惑っていた。
もちろん、議会で顔をあわせるから、彼女達の顔も名前も知っている。けれど彼女達がどのような人物かは、全く分からなかった。エルナはこれまで、あまり周囲との交流をしてこなかったのだ。
「キルア地区のクレール・コントと申します。こうしてお話しするのは初めてですね、エルナさま」
「はい、クレールさま。」
エルナは微笑み返しながら、用意してあった椅子へ、彼女達を導いた。彼女達が座ったことを確認すると、自らも腰を下ろした。
「レオニー・エールだ。まぁ、お互いに名前は知っているだろう? 今日は少しあなたに伝言がある。ミラベルから、な」
見かけによらず、少し低めの声に、エルナは多少驚いたものの、彼女の落ち着いた声は心地よい。
「やはり、これはミラベル様が……」
西ネイシア地区の結界主、彼女の名前がミラベル・トーである。政府によく反発している人物で、エルナよりもその数は多い。
「残念ながら、彼女の同席は許可が下りなくてね。彼女は地区から滅多に出させてもらえないんだ。あそこの騎士は議会派だから―――ここの騎士とは違ってね」
議会派―――議会のやり方を絶対とする派閥。国王をただのお飾りとして扱い、好き勝手やる者達。
国王が絶対であるわけではない。けれど今の国王は、王としての義務も果たせず、王という存在が飾りとなってしまっていた。
けれどそれとクルトと、どのような違いがあるというのか。
確かにクルトは、議会派ではないだろう。けれどそれだからといって、いいと言うことも無いはずだ。騎士という立場は、議会の承認があってこそ認められている。議会に逆らえないのは、クルトも同じはず。
「レオニー! そのような言い方をしなくても」
クレールが、腰を浮かせている。エルナは彼女を諫めながら、レオニーを向いた。彼女は愉快そうに笑っている。
「いいじゃないか、クレール。私は純粋に彼女が羨ましいんだよ。この地区ほど、自由な地区は無い。それも、あの騎士の手腕あってこそだろう。地位と権力を上手く使いこなす男は嫌いじゃない」
「クルトは優秀なのですね。……いつも我侭ばかり言ってやるのに、叶えてくれるんですよ。もちろん、ダメなときはダメですけどね」
思わず俯いた。エルナは自分が問題児である自覚がある。けれどそれは、エルナの我侭でしかない。周囲の為だとか、今後の結界主たちの為などではないのだ。本当はミラベルのような人物にこそ、クルトは仕えるべきだろう。
「この地だからこそだとも思いますわ。ここは国で一番寒い地区で、一番狙われやすい地区ですから。彼の人脈が素晴らしいということもあるのでしょうけれど、国にとっても、ここの守りが崩れては困るのでしょう。結界はあくまでも、魔法からこの国を守るものです。人々の介入を防ぐのは、人ですから」
彼は騎士としても指揮官としても優秀ですもの、とクレールは微笑む。エルナは、自分の知識の少なさを悔いた。
学ぶことを放棄してきた報いだ。近くにいるはずのクルトのことさえ、エルナは知らないのだ。
「西ネイシア地区の騎士は、どんな方ですか?」
「この地区の騎士と同じくらい、厳しい男だよ。けれど彼とここの騎士では、圧倒的に違うものがある」
「違うもの?」
クルトは別に特別な騎士でもない。騎士は誰でも同じようなものではないか。違いは後ろ盾くらいで、クルトにはそれはあってないようなものだから、特別な騎士ではないはず―――と言う、エルナの見解は、全く的外れだった。
「ここの騎士は、あなたのことを思って厳しいんだろう。家族愛というか、簡単に言えばそういう感情があるんだろうな。だからこそ、どんな我侭を言ってもあなたを守るんだ。けれど、彼は違う。彼女を守ったことは、一度も無い」