Episode.1 叶える決意(4)

「それではエルナ様、この先はお一人で」

 辺り一面は木々に囲まれている。目の前に見える大きな柱だけが、異質だった。

 クルトにマントを預け、エルナは前へと足を進めた。

「ええ」

 そう静かに呟いて、エルナはゆっくりと目を閉じた。

 閉じている間に、クルトが下がっていく音がする。周囲にはきっと警備の者がいるだろうが、決してエルナの顔を見ることのないように、誰もが目元を覆い隠していた。エルナがはっきりと顔をあわせることが出来るのは、クルトだけと決められているので、その顔を知ることは叶わない。

 目の前には輝く柱がある。エルナはいつも、それがまるで生きているかのように話しかける。それを後ろで背を向けて聞いているのであろうクルトは、不満そうな顔をするが、変える気はない。ひとりごとを言いたときぐらいある。

「―――お久しぶりですね。……どうか変わらぬご加護を」

 両手で手を組ませ、祈りを捧げる。周囲の雑音を払って、体中の力を一転に集中させると、すっと背中から温かいものが抜けていく。力が受け取られたのだ。

 エルナが踵を返していくと、クルトがマントを差し出す。エルナが受け取ると、ゆっくりと剣を抜いた。そして少し簡単な術を発動し、エルナの影を指差すと、ゆっくりと前を指差す。陰が立ち上がり、やがてヒトの形をする。クルトが時折使う、身代わりの術である。

「エルナ様、申し訳ありませんが、影をお借りします。……我々で対処します。ひとりで帰れますね?」

「ええ。気をつけて……」

 エルナはまっすぐと、足を進めた。


 知らぬ間に外れた道を通っていたことに気づいたエルナは、急いで道を引き返す。誰かに見つかるとまずいことになる、そう思って走っていたとき、木々にぶつかった。少し左腕が痛んだが、掠り傷程度だろう。構わず前へ進もうと、再び足を動かす。すると後ろから、何かの物音がした。

 ―――少年だ。癖のある栗毛に、オレンジ色の瞳はこの辺りの住民の中では珍しくない容姿だから、おそらく町の住民だろう。この辺りは果物がよく育つので、多少の収穫が許可されている。儀式の間も、指定された区域に立ち入らなければ問題ない。

 だがエルナは違う。この辺りではあまり見かけない、金髪に碧い瞳。これはエルナの故郷では珍しくはなかったが、柱があり少し閉鎖的なこの地域では、目立つ髪色だった。

「おい、何してる!? そっちは柱の儀式で、今は立ち入り禁止のはず。ほら、見つかる前に出ておいで。騒ぎがあったらしくて、混乱している今なら見つからないさ」

 半ば強引に引っ張られるようにして、エルナは戻ってきた道を再び歩んでいく。このままではクルトに見つかってしまう、そう気持ちばかりが焦った。

「あ……私は」

「ん? 見ない顔だね。その髪色……この辺りは初めて来たのか。なら覚えておくといいよ。この国は毎月5箇所で結界の修復作業が行われてるんだ。そのときは警備が厳しくなるんだけど、今日は何か賊が入り込んだらしくて、今はそっちに人手が……ってあれ?

 その傷どうしたんだ?」

 人の話を聞くつもりはないらしい。しばらく他人と話していなかったエルナは、どう話しかけていいのか分からず、戸惑っていた。

 よく見ると左腕から血が滲み出ていた。マントを着ていなかったからだろう。何しろ着替えずに出てきたので、着ているのは部屋着のドレスである。ワンピースに近いもので、平民が見れば少し身なりが良い程度にしか思わないはずだ。

「あの、私」

「いいって、ちょっと見せて? ああ、掠り傷だね。これくらいなら大丈夫。ちょっと痛むけど、我慢して?」

 少年はビンを取り出して何かを塗ると、真っ白な布で傷口を覆った。優しく包まれている感覚に、懐かしさを覚える。

「すみません……ありがとう」

 少年は笑顔で頷くと、再び口を開いた。どうやらお喋り好きらしい。エルナがまったく話さないから、気を遣っているのかもしれないが。

 何か話そう、そう思って口を開きかけたとき、少年は話題を変えるように、早口で言った。

「そういえば、あそこの屋敷にいる結界の術士も、まだ若い娘だって―――」

 少年の何気ない会話。それが故意ではないということは表情で分かる。けれど自分の正体が知られることに、恐怖を覚えた一瞬だった。