『決意の電話』


「―――いいのね、卓哉?朋子ちゃんの気持ちも大切だけれど、あなたが無理することはないのよ。これから時間はあるんだから、ゆっくり考えたっていいじゃないの。」
  卓哉は気にかけていたことがあった。朋子との婚約が決まったのはごく最近である。彼女がまだ高校生で、自分が大学生のころだった。前からそんな話があった わけではない。だから彼女に恋人がいても仕方ないとは思っていた。けれど彼女はなにも不満を口にしなかった。必死に自分を想おうとしているのはとても強く 感じていた。けれどそれが、卓哉にとっては負担でもあったのだ。
 彼女がずっと、幼馴染を想っていたことを知っていたからだ。
 二人は付き合っていたわけではない。だが、普段の様子を見れば、幼馴染以上の絆が感じられるのは確かだった。
「…このまま彼女を連れていけば、きっと彼女は彼のことを忘れようとするだろう。だけど、それは嫌なんだよ。彼女を本当に幸せにできるのは、俺じゃない。母さんだって分かってるだろう。」
「お前がそれでいいのならいいのよ。…朋子ちゃんにはなんていうの?彼女はお前についていくつもりで、3月に向けて段々とご友人に挨拶回りに行くって、向こうのお母さんが仰ってたわよ?」
 母は朋子の母とも仲が良く、よく電話で話していた。そんなことまで聞きだしているとは、わが母ながら流石としか言えない。
「それは手を打ってある。…幼馴染は東京で就職するからな。彼には彼女のことを頼んである。あとは飛行機に乗る前に、彼女に何事もないように電話するだけだ」
 去年彼女の実家を訪ねたとき、幼馴染と会い、彼女の話をした。その際、彼に確かめたのだ―――彼の気持ちを。そして、自分が感じる彼女の気持ちを。かれ は戸惑っていた。そうだろう。普通は諦めると思っているし、彼女は元々気さくな女性で、だれにでも優しく接する人間だった。だから卓哉も魅かれた。けれど 結局は片思いなのだ。
「そう。いってらっしゃい。向こうで良い女性を探してきなさいよね。あ、でも日本語分かる人よ?私英語なんてできないんだから。おしゃべりできなきゃつまらないもの。」
 朋子が遊びにやってきたとき、母はとても楽しそうに、むしろ迷惑なほど彼女を占領していた。かなりおしゃべりな子を探すほうがいいかもしれない。
「分かったよ。彼女以上の女性を、見つけられるか分からないが…。」
「あんな完璧な子はあなたなんて相手にしてくれないわよ、普通。お前はお前に合う子を探せばいいの。馬鹿ねぇ。」
 母は先ほどとは違う、穏やかな笑顔で自分を送りだした。
 荷物を抱えたまま空港に着き、できるだけ人がいないところで電話をかける。長引けば今いる場所が分かってしまいそうで、すぐに電話を切った。
 (これでいいんだ。…彼女の為に。)
 きっと彼がうまくやってくれるだろう。
 向こうに着いたら携帯をまず変えようと決心して、彼は飛行機に乗った。
 母経由で連絡先がバレて、彼女から謝罪のメールが届くのは、日本がちょうど桜月のときである。