『隠し通す想い』
桜月。この言葉を聞いたことがあるだろうか。
太陰暦の3月を示すこの言葉は、現在、太陽暦の3月も示すようになったという。
これはそんな桜月の他愛もない出来事である。
朋子には婚約者がいた。田舎町に住む朋子とは違い、都心で会社を経営する家の跡取り息子・卓哉だった。そこの主人と朋子の父が同級生で、その縁で朋子と卓哉は婚約していた。
卓哉が大学を卒業したのは昨年のことである。本当はその後すぐに海外で実績を積むために赴任するはずだったが、朋子が大学を卒業するまで先伸ばしにされていた。
朋子は明日、故郷を離れて卓哉と共に海外へ行く。
その為に友人やお世話になった人へ粗方挨拶回りを終え、最後に幼馴染みの家へやってきたのだ。
「…東京に?」
「あぁ。大手出版社に就職が決まったんだ。…明日ここを経つ。お前は?」
久しぶりに会った幼馴染みは随分大人びていた。むかしのやんちゃぶりが嘘のように感じられた。
「私も明日…卓哉さんについていくことにしたの」
決意だった。自分の為に1年先伸ばしにして待ってくれた卓哉を大切にしたかった。
「就職決まってたんじゃないのか?」
「いつかは辞めることになるだろうし…今はあの人のそばにいたいから」
そばにいないと彼を想えない気がしてならなかった。
幼馴染みへの想いを隠すために、拭い去るために決めたことでもあった。
「……一緒に来てくれないか」
朋子の瞳を見つめる目はしっかりしていた。
「え?私には卓哉さんが」
「卓哉さんからこれを預かってる。去年ここに来たときに預かったんだ」
朋子の言葉を遮るように、幼馴染みは――類は封筒を差し出した。
「手紙…?」
恐る恐る封のされていないそれを開ける。卓哉の字だった。
「あの人も分かってるよ。お前の気持ちを。…そして俺も」
涙が溢れる。大切な1年を無駄にしてまで、自分の幸せを願ってくれた婚約者に。
「類……一緒に行かせてください」
溢れる涙は止まらなかった。けれど精一杯笑顔を作って言った。
類が黙って朋子を抱き締めていた。
「もう離さないからな。」
朋子は黙って抱き締め返していた。